とりのうた

listening and writing the song of the "bird"

第3章 君の好きだった歌(6)

  ASKAはSAY YESの大ヒットの直後、1992年のCONCERT TOUR 1992 “BIG TREE”のステージの上で、次のような一節を含む「道標」という散文詩を披露している。

 

道標は はじめからあった気がします
例えば 大きな風が風車を回すのではなく
小さな風車に生まれた風が
遠い海を越えることを知った時も
やっぱり
道標ははじめからあった気がします

 

  フランチェスコによる裸の反復という出来事、そして「小さき兄弟会」に生まれた風が、遠い海を越える道標は、確かにBrother Sunによって照らし出されていた。しかし、CHAGE&ASKAによる、いやASKAによる反復に生まれた風は、東シナ海や南太平洋を越え、東アジア諸国には瞬く間に広まり熱狂的に受け入れられたものの、太平洋という大海原を越えようとしたところでその風が止んでしまった。アルバム「Code Name1. Brother Sun」のリリース前後、CHAGE&ASKAから生まれた風は、間違いなく太平洋を越えようとしていた。ハリウッド映画の主題歌起用、MTV Unpluggedへのアジアミュージシャン初の出演、西洋圏の著名な海外ミュージシャンたちによるトリビュート・アルバム「one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA」のイギリス・タワーレコードのコンピレーション部門での1位獲得など、太平洋を越える風は確かに順風満帆のように見えた。しかし、ここではたと風は止んだ。Brother Sunに照らされたフランチェスコの跳躍。そこから生まれた風は、幾多の荒波に遭遇しながらも、確かに大きな海を越えた。しかし、同じくBrother Sunに魅せられフランチェスコのようにステージ上で大きく両手を広げたASKAの跳躍から生まれた風は、このとき太平洋を越えることなく風が止んでしまったのだ。

 

  宗教改革ルネサンスの両輪が、福音主義啓蒙主義とを結びつけ、蒙昧に苦しむ世界の人々にBrother Sunによる光明をもたらすような運動を展開させる原動力になったのは、キリスト(真理)という一者への希求である。多の者(他の者)を巧みに含み込むように見せかけながらそしてこっそりと締め出すための、周到な統一化への戦略がそこにはある。啓蒙主義は、アメリカ・インディアンのコヨーテとオオヤマネコが元は双子だったという「と(and、&)」の思考を決して許さない。「種」や「進化」といったキリスト教世界で馴致された(つまり、キリスト教の信ずる神によって承認された)ある一つの形式によって合理的とされる説明を経由しなければ、虚妄あるいは野蛮と排されるのだ。こうして、「と(and、&)」の持つ創造性や多様性は知らず知らずいつの間にか締め出され、抑圧されていく。


  ASKAの跳躍という小さな風車に生まれた風が遠い海を越えることを止めたのは、この多様性の締め出しや抑圧に遭遇してからだ。ASKAは、「CHAGEASKA」というグループ名に由来するブリコラージュ的で朴訥とした在り方と、キリスト教世界の周到に多様性を締め出そうとする厳格なメカニズムとの間に横たわる深淵に当面していた。この深淵を乗り越えるには、ASKAはどうしてもキリスト教世界が暗に提示する「統一原理」を探らねばならなかった。それを裏付けるかのようにASKAは1995年以降、「と(and、&)」を排した活動、ソロ活動に没頭していくこととなる。

 

  そいつという死者の声に強く縛られた、僕と“かの女”との関係は破綻した。そいつの死をともに目撃した僕たちの出来事の反復が、もはや「拍子」として聞き取れず、僕たちはうまく「リズム」が合わせられなくなっていたのかもしれない。
  そして僕は、“かの女”と出会う。僕の父をして「マリアのような人」と言わしめた、“かの女”に。