とりのうた

listening and writing the song of the "bird"

第1章 SAY YES (5)

僕の“かの女”への信心の篤さが届いたのか、あの公園での儀式から約8ヶ月後、初夏の香りが漂い始めた1992年5月、“かの女”は僕の「付き合って。」というガラスケースを受け取ることになった。僕と“かの女”は、交際をすることになった。僕の願いは成就した。「理想」が「現実」となったのである。しかし、現実化した理想は、「あの理想」では決してなかった。電話をしても、デートをしても、話すことは何もない。現実化した理想は実に空疎だった。「虚構」。まさに、「虚構」だった。成就までの「あの理想」と、成就からの「この現実」の分裂。「現実」が「虚構」化する、まさにその瞬間に僕は立ち会っていた。この交際の「虚構」らしさに、“かの女”もまた気づいていたようだ。わずか1ヶ月後の1992年6月、僕たちの「虚構」は取り壊されることになった。

 

 

ASKAは、CHAGE&ASKAとして「SAY YES」の前に発売されたシングル曲「太陽と埃の中で」でこのように歌う。

 

追いかけて 追いかけても つかめないものばかりさ

愛して 愛しても 近づくほど見えない

 

「理想」に動機づけられて成就を迎えた「現実」が「虚構」化することを、この歌は看破している。太陽に燦燦と照らされた「理想」を「追いかけても」、「近づくほど」に「現実」は埃の中へと「見えな」くなっていく。そうなのだとすれば、「YES」というその声は、一体何を肯定しているというのだろうか。

第1章 SAY YES (4)

  こうした社会学的な主題は、次のように言い換えることもできる。この「101回目のプロポーズ」というドラマの大ヒットは、1991年当時の人々の中の生成変化するものが、「虚構」というパターン(過去)にアイロニカルに締め出され続けることが常態化した「虚構の時代」の末期に、もう一度「理想」というパターン(過去)を媒介にして、生成変化するものを「現在」という場に取り戻す運動の一つであった、と。まさに、「理想」を取り戻すこの運動こそが、ASKAの「かけひき」に描かれる剣道の立ち合いにも通じる真剣勝負そのものである。そして、この「現在」における運動や真剣勝負こそ、「理想」という言葉がそもそも意味しているように、「未来」における現実化可能性をありありと実感させてくれるものでもある。
  しかし、そうだとすれば、ここで一つの疑問が生じてくる。この「理想」を取り戻す運動や、「理想」をめぐる真剣勝負が、この時代の人々の心を強く捉えたのだとすれば、その担い手がCHAGE&ASKAというミュージシャンである必然性はどこにあったのか、という疑問である。もっと言えば、「理想の時代」の全盛期を華々しく彩った「演歌」や「フォークソング」、「グループサウンズ」のミュージシャンたちではなく、なぜCHAGE&ASKAだったのか、という疑問である。実際のところ、「101回目のプロポーズ」と同時期の1990年代初頭のテレビドラマには、小田和正浜田省吾財津和夫中島みゆきなど「理想の時代」に活躍したミュージシャンたちが起用される動きも多くあった。また、「101回目のプロポーズ」で星野達郎の配役が、海援隊武田鉄矢であったこともまたこの動きの現れの一つと見てよいだろう。さらに言えば、CHAGE&ASKAが「チャゲ&飛鳥」としてデビューしたのも、1979年という「理想の時代」から「虚構の時代」への移行期であり、これらのことからは「101回目のプロポーズ」の、あるいは「SAY YES」の大ヒットは、「あの理想を取り戻せ!」という復古的な人々の心の動きと連動した、「理想の時代」のミュージシャンたちの反復的回帰の運動とみなすこともできる。
  しかし、である。これらの現象に、もう少し繊細なセンサーを当ててみると、また異なる様相が姿を現わす。小田和正財津和夫は1970年代に大きく活躍したミュージシャンであり、それぞれ70年代には「オフコース」や「チューリップ」といったグループで活動していたが、90年代にはソロミュージシャンとしての活動が中心となっていたという差異はあれど、音楽的な一貫性はある程度保たれている。例えば、ドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌としてヒットした小田和正の「ラブストーリーは突然に」と、オフコース時代のヒット曲「さよなら」とを比較して、聴き手に与える総体的な印象にそれほど大きな落差は感じられない。ところが、1979年にリリースされた「チャゲ&飛鳥」のデビュー曲「ひとり咲き」と「SAY YES」とを聴き比べてみると、その聴き手に与える印象の落差は、小田和正のそれとは比べものにならないほど大きい。「ひとり咲き」と「SAY YES」とは全く異なるジャンルの楽曲という印象を受ける。「チャゲ&飛鳥」は、「CHAGE&ASKA」として反復的な大衆化を遂げたとき、重大なメタモルフォーゼを起こしているのだ。つまり、「101回目のプロポーズ」の、あるいは「SAY YES」の爆発的な大ヒットをもたらした要因の中には、「あの理想を取り戻せ!」という以上の「何か」があった。「チャゲ&飛鳥」が「CHAGEASKA」として大衆の前に大きく回帰してきたのは、「あの理想」という復古主義的な反復という意味付けには回収しきれない「何か」があったのだ。なぜなら、この頃既に「CHAGEASKA」は「理想の時代」の「あの理想」の体現者としての「チャゲ&飛鳥」から、大きな変化を遂げていたからだ。ここに、小田和正財津和夫の例とは、微妙ながら極めて重要な差異がある。

  では、その「何か」とは一体何だろうか。この謎を解くために、まずは「チャゲ&飛鳥」のデビューという出来事の社会学的な意味を、もう少し詳細に検討しておく必要がある。「チャゲ&飛鳥」のデビュー曲「ひとり咲き」の持つ楽曲的特徴は、当時「フォーク演歌」、「演歌調フォークソング」などと評されることが多かった。1979年という「虚構の時代」の始まりの時期にありながら、「理想の時代」の底流で蠢き「夢の時代」に開花した「演歌(艶歌)」という「過去」のジャンルと、同じく熱い「夢の時代」の後期を盛り立てた「フォークソング」という「過去」のジャンルとの融合的な残滓を大きく留めていた楽曲で「チャゲ&飛鳥」は大衆の前に生まれ出たのだ。
  見田(2006)は、「理想の時代」と「虚構の時代」との間に、「夢の時代」という移行期を想定している。見田によれば、1960年代から1975年頃までの高度経済成長期を「夢の時代」と命名した。戦後、「食」「衣」「住」が満たされ始めた日本人は、徐々に音楽という文化的な営みにも関心を寄せ始める。そうした人々の関心の受け皿は、西洋から直輸入された音楽だった。とりわけアメリカ由来の「ジャズ」や「ロカビリー」が「理想の時代」に相応しい文化的受け皿となり得たのは、まさに日米安保に象徴されるアメリカ主義という理想への強力な時代精神と連動している現象であった。一方、そうした米国という理想への憧憬の影で徐々に育ってきた文化的運動もある。それが、かつて明治時代の自由民権運動を活気付けたとされる「演歌(演説の歌)」という名称へとのちのち変転する宿命を持った「艶歌」というジャンルである。「艶歌」は「保守/革新」「ブルジョアジー/プロレタリアート」「堅気/任侠」「都会/田舎」といった様々な差異を蕩かす、いわゆる「盛り場」の暗がりから産声をあげた。輪島(2011)によれば、そもそも明治・大正期の「演歌師」が自由民権運動の壮士たちに起源を持つということ自体に疑義を唱える論者も多いとのことだが、ともかく盛り場生まれの「艶歌」がやがて自由民権運動の壮士の意匠を用いた「演歌」と名づけられることによって「夢の時代」の始まりを華々しく飾ったことが、ここでの文脈では重要である。
  一方、1960年代末からの、見田が「熱い夢の時代」と名付ける時期に、「演歌」の流れを汲みつつ、青年たちの鬱屈した精神の受け皿として「フォークソング」というジャンルが現れた。保守も革新も「理想」を追い求める中で徐々に現実化した既得権益の上でがんじがらめとなり身動きの取れない膠着状況が続く中、若者たちの「反体制」、「草の根」という現状打破の精神を歌いあげたのが「フォークソング」である。こうした激しい若者たちの闘争や運動がすっかり抑圧され切った後でも、「フォークソング」は井上陽水の「夢の中へ」に象徴されるように、人々をまさにやがて「虚構」へと変転を遂げる「夢」の世界へと誘い続けたのが「夢の時代」の斜陽、1970年代である。
  つまり、「チャゲ&飛鳥」というミュージシャンが、その後に「フォーク演歌」と呼称されることになる「ひとり咲き」という楽曲で、1979年「虚構の時代」の芽吹きのときに大衆の前に現出したのは、「虚構の時代」にありながら「理想の時代」や「夢の時代」の余韻をも響かせる担い手であったためである。場外線ぎりぎりに詰め寄らせ、幾度も身体を沈ませ、相手の攻撃を誘うよう「嘘」をつくASKAの「剣道」による身体性を考慮に入れてもっと大胆に言えば、「理想の時代」にも「夢の時代」にも「虚構の時代」にも収まりきらない、どこか「境界性」や「多様性」を帯びた姿で「エネルギーの化身」となり、1979年の大衆の「胴を斬」ったのが、「チャゲ&飛鳥」のデビューという出来事だったと言えよう。この点こそが重要なのである。
  ここにこそ、「あの理想を取り戻せ!」という復古主義的な反復とは異なる「何か」がある。つまり、「101回目のプロポーズ」というドラマとともに、1991年に大衆の前に返り咲く体現者が「ASKACHAGE&ASKA)」でなければならなかった必然性を決定づける要因は、この「境界性」や「多様性」にこそ存在するのだ。全てが「虚構」という味気ない作り事に変転していく時代的なムードの中で、中年のおじさんが「理想」を取り戻す純愛ドラマに、「余計なものなどないよね」と語りかけるのは、「理想」にも「夢」にも「虚構」にも、あるいは「演歌」にも「フォーク」にも「ポップス」にも「ロック」にも、決して回収し尽くされることのない「境界性」や「多様性」を身に纏ったASKACHAGEASKA)でなければならなかった。1991年にASKAが大衆に熱烈に呼び出されることになった必然性は、「あの理想を取り戻せ!」という復古的な運動のみならず、ASKAというミュージシャンに内在した身体性が、この「境界性」や「多様性」を宿していたからなのである。

第1章 SAY YES (3)

  ドラマがドラマとして成立するには言うまでもなく3つの時間的要素が必要である。「過去」、「現在」、そして「未来」。また、生成変化するものを「過去」へと締め出そうとする運動と、生成変化するものを「過去」から取り戻そうとする運動との闘いの場こそ、「現在」である。この「現在」の真剣勝負の中で、決して「過去」と同じものの反復ではない、絶対的な固有性を獲得できたとき、そこに「未来」が拓かれる。これがドラマである。
  99回のお見合いに失敗してきた「過去」を持つ星野達郎、許婚の死という衝撃的な傷を負った「過去」を持つ矢吹薫、この両者の立ち合いの場こそ、「現在」である。「また人を好きになって とっても好きになって それでまた失うの こわいの こわいんです ねえ…こわいの」星野達郎の深い思いに触れた矢吹薫は、生成変化するものの破壊力に怯えている。生成変化するものの破壊力を「過去」へと締め出そうとする力と、生成変化するものの創造力を「過去」から取り戻そうとする力とが拮抗する。この二人の差し向かいの「現在」の場に、徐々に二人だけの唯一つの「未来」が立ち上がってくる。これこそまさに、ドラマをドラマたらしめているものの本質である。
  インターハイ出場の経歴を持つほど、剣道に打ち込んでいたASKAの身体には、「剣道」が刻み込まれている。「剣道」というまさに差し向かいの場には、「現在」が満ち溢れている。ASKA散文詩「かけひき」には、この「現在」の充溢がありありと感じられる。散文詩の最後をASKAはこう締めくくる。「この瞳で嘘をついて」と。この「嘘」とは何か。それは、三回目の沈み込みが、その前の二回の沈み込みという「過去」へと回収されようとする、つまり前の二回と同じように引き潮に乗っている「振り」をするということであろう。この「嘘」や「振り」の身体的な所作の中に、「エネルギーの化身」を潜ませ、津波のように一気に「相手の胴を斬る」のが「剣道」を通してASKAの身体に刻み込まれたドラマ性である。
  「101回目のプロポーズ」という実にドラマらしいドラマのヒットを契機に、まさに「エネルギーの化身」とも言えるポピュリズムの巨大津波の体現者の一人として祭り上げられることになったASKA。「剣道」を仲立ちに培われたASKAの身体性の意味を考える上で、ポピュリズムのこの津波が、1991年というときにおとずれたことの意味を、社会学的な視点から整理しておくことは重要である。
  大澤真幸(2008)によれば、1990年代前半という時代は、1970年代後期から始まった「虚構の時代」の末期であると位置づけられる。1995年の一連のオウム真理教事件や1997年の酒鬼薔薇事件が、「虚構の時代」の終焉を告げる画期的な出来事であるとし、「現実」を整合的に意味づける媒介者としての「虚構(フィクション)」がもはや人々の心にとって効力を失ったことを示す象徴的な出来事であると大澤は分析する。「101回目のプロポーズ」が、「SAY YES」が、大衆化したときは、まさにこの「虚構の時代」の最終段階に当たる。大澤は見田宗介(2006)による「戦後」日本の「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」という時代区分に関する議論を引き継ぎながら、さらにポスト「虚構の時代」を「不可能性の時代」とし、「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」という3つの時代区分を提起した。大澤は、ディズニーランドや村上春樹に理想の虚構化を見る。つまり、終戦間もなくからのアメリカ主義への帰依に始まった理想が、所詮は現実化し得ない虚構に過ぎないことに人々が気づき、現実から隔絶された時空に、虚構と知りながら敢えて虚構としてその場を構築しようとする時代こそ、「虚構の時代」の特徴だとした。理想は未来での現実化の期待を前提にしているが、虚構はもはや現実化とは関係がない。
  このことは、「101回目のプロポーズ」というドラマの中にも見て取れる。このドラマの中で、星野達郎は42歳という年齢設定である。達郎はまさに終戦直後に生を受け「理想の時代」の真っ只中で青春を謳歌してきた男である。理想を追い求め勤勉に実直に会社組織に奉仕し続けてきた万年次長のサラリーマン星野達郎は、理想追及とその挫折を体験した男の象徴である。仕事でもプライベートでも、もはや理想の成就(現実化)は潰えたことに達郎は深く絶望しているところからこのドラマは始まる。理想の挫折。挫折してしまったが、それでもそこに穿たれた「穴」や「傷」を埋め合わせたい。その埋め合わせのために持ち込まれるのが虚構である。こうして、人々の中の欠如を埋め合わせるために、あるいは生成変化するものを締め出すために、持ち込まれる反現実が理想から虚構に取って代わる時代が「虚構の時代」である。
  このドラマが既に時代は「虚構の時代」の真っただ中にあり、虚構の影響力の強さを暗示している点がいくつもある。例えば、矢吹薫の前に突如現れた、長谷川初範扮する藤井克巳という登場人物はまさに虚構の象徴だ。藤井という男は、達郎の「僕は死にません!」という100回目のプロポーズが成就しかけたその時に、3年前に死亡した薫の婚約者真壁芳之の生き写しのような姿で薫の前に現れる。次第次第に藤井に惹かれていく薫の様子を見かねて、薫の友人石毛桃子は窘める。「目を覚ましなさい!あんたは真壁さんの幻を見てるのよ!」薫はもちろん知っている。藤井が元婚約者の真壁とは別人であることを。つまり、真壁という理想の存在は、もう既に現実化し得ないことなど薫は百も承知なのだ。それでも目の前に現れた藤井という虚構(幻)の魅惑に薫は打ち克つことができない。まさに「虚構の時代」の人々が共有する心性はこの薫の虚構への囚われにこそある。「どうせ偽物(戯れ、気慰め)に過ぎないのはわかっているが、それでも敢えてそれをする」という大澤が「アイロニカルな没入」と呼んだ状況へと誘い込むのは、薫も囚われたこの虚構が持つ独特の魅惑である。
  また、江口洋介が演じる、本来は恋愛適齢期であるはずの達郎の弟星野純平(達郎との年齢差が20歳!)が、「ハンサム」という理想的な容姿を持ちながらアニメ同好会の部長という「オタク」性を帯びているという設定にも、「虚構の時代」らしさをほのめかしている。大澤によれば、「オタク」こそ「虚構の時代」に象徴的な現象である。人生や実社会における理想の追求という意味や目的とは全くつながらないカタログ的情報の蒐集へと内閉することこそが「オタク」なる現象であり、こうした「オタク」と呼称される星野純平に象徴される人々がアニメという虚構に熱狂的に没入する様子がドラマの中に設定として埋め込まれていることは、本当のアクチュアルな恋愛の世代は、「虚構の時代」の精神にすっかり埋め込まれていることをほのめかしていると考えられるだろう。
  さらに言えば、こうした「オタク」特有の「アイロニカルな没入」という現象は、星野達郎のお見合いが既に99回を数えるというカタログ的な複製にも似た、終わりなき反復のエピソードからこのドラマが始まっていることと、意味的にパラレルである。「どうせ結婚できないのはわかっているが、それでも見合いをする」とまで達郎が思っていたかどうかは定かではないが、少なくとも薫に出逢うまでの99回のお見合いの全てが、結婚式当日に花嫁に逃げられた1回目のお見合いの反復であったことは間違いない。2回目から99回目までのお見合いの内容は、ドラマの中で全く表現されないからだ。本来、お見合いとは、一期一会の具体的、個別的な体験であるはずである。にもかかわらず、この実に空疎な反復体験の強調そのものが、アイロニカルな没入という虚構性を象徴している。
  しかしこのドラマは、それだけでは終わらない。むしろ最終的には「虚構の時代」にありながら、理想の挫折という「傷」や「穴」を虚構によって埋め合わせてはいけないという強いメッセージを表現しようとしているのが特筆すべき点である。虚構によってではなく、もう一度理想によって埋め合わせようとするのが、星野達郎という男である。生死を賭けてトラックの前に飛び出し「僕は死にません!」と叫ぶ達郎の姿に、雨の降りしきる神社の境内でお百度参りにひたむきにいそしむ達郎の姿に、理想を追い求め腹を括って挑戦し続ける昭和男児の面影が重なる。理想の回帰、そして成就。「虚構の時代」にありながら、まるで最後の足掻きのように「理想の時代」の残滓を燃え上がらせようとする試みが、「101回目のプロポーズ」というドラマの大きな主題なのである。

第1章 SAY YES (2)

 建設会社の万年係長である星野達郎は99回のお見合いにことごとく失敗し続けてきた。達郎は深く傷ついていた。見た目も悪い、仕事も冴えない自分自身を卑下していた。それ以上に達郎を苦しめていたのはおそらく自身の誠実さという仮面をつけた臆病さなのだろう。「今まで、信号機どおり生きてきました。信号見て、赤だったら絶対渡りませんでした。青だったら、臆病だから俺、ビクビク渡ってました。」勤勉さ。実直さ。それゆえの柔弱さ。信号機に象徴される都市空間の埒内に封じ込まれた男たちの去勢。達郎の傷は、それとも知らされずいつの間にか抜き取られた魂という抑圧の傷だった。

 そんな達郎が結婚を断念しかけた頃に現れたのが矢吹薫、その美しい女性だった。薫もまた深い傷を負っていた。3年前、婚約者との結婚式当日、その婚約者が交通事故で急逝したのだ。「僕は誓うよ。50年後の君を今と変わらず愛している。」婚約者のプロポーズの言葉に託された愛の永遠性は、ガラスケースのような脆さを抱えていた。いやむしろ、そもそもの初めから永遠なるものはガラスケースの中には収まりきらないという永遠性に内在する本来的な在り方が、愛の永遠を誓うべきまさにその日に露呈してしまったのだ。不意なる「傷」の訪れ。どんなに美しく劇的な言葉を尽くしても、決して到達できない永遠なる愛の不可能性に、薫は図らずも直面させられてしまった。

 達郎は言う。「人をさ、好きになるってことはさ、愛する人と一緒に、自分もこう…変わろうと祈ることなんじゃないかな。」万年係長だった達郎は、矢吹薫という深い傷を負った美しい女性との交流に触発され、やがて一念奮起し司法試験を目指すべく会社に辞表を提出し万年サラリーマンを脱する。必死の勉強と、神社へのお百度参り。生成変化するものとの出会い。抑圧されたものの回帰。そして、反復という名の奇跡。懸命な努力虚しく司法試験に失敗し、同時に薫との成就も叶わないと悟った達郎のもとへ、ウェディングドレス姿の薫が走り来る。そして、あの邂逅である。

 

 この邂逅をブラウン管を通して目の当たりにすることで、あるいはまたテレビに誂えられた簡素なモノラルのスピーカーを通してながら、その圧倒的な浸透力を持つASKAの声に「余計なものなどないよね」と問いかけられることによって、僕はかの女への情熱的な思慕を募らせていく。かの女との恋愛成就の不可能性を感じ取れば取るほどに、ますますいっそう純愛に目覚めるかのように。お百度参りが、願いの不可能性を看取するほどに、ますますいっそう、その信心の篤さを証明してしまうかのように。手紙や電話、待ち伏せなど、当時の僕に与えられていた、可能な限りの通路を通して、かの女に触発されて溢れ来る思いをかの女のもとへと直接的に表明し続けた。あの時あの公園でかの女の口から「少し時間をください」という言葉で生まれ、そして「やっぱり、ごめんなさい」という言葉で、「余計なもの」として締め出された何かが、こんなふうに僕の中で出口を探し回っていた。結局のところ、成就不可能性に動機づけられたこれら欲望や願望の塊こそが、僕の中の最大のリアリティの在り処となっていたのだ。

 

 成就の手前にとどまり続けることで、抗い戯れることのできる何かがある。成就が遂げられた瞬間に、その臨界点で、質的な差異をもたらすものがある。ポピュラー・ミュージックという志向を持った波に乗り、津波のような大衆性に辿り着いたASKAASKAの楽曲の大衆化の極みが、テレビドラマによって、まさにドラマティックに到来したのは決して偶然ではない。それは、ASKAというミュージシャンの身体に内在する、ある性質に深く関与している。その性質は「剣道」によって涵養されたものである。その独特の身体性は、「SAY YES」を収録した「TREE」というアルバムのブックレットのASKA自身による散文詩に見事に表現されている。

  

かけひき

 

じりじりと 相手が詰め寄る

交わる竹刀の先の距離が変わらないように

じりじりと 僕はひく

きっと 相手は優位に立ったと思ってる

頭の良い奴なら ここでは来ない

もっと詰め寄る

もっと来い もっと来い

心の中でつぶやく

 

僕は場外線ぎりぎりまで詰め寄らせる

相手の呼吸に合わせたら軽く一度沈んでやる

頭の良い奴なら必ずここで身構える

反撃だと思って身構える

しかしここでは行かない

 

もう一度剣先の距離を確かめたら

もう一度沈み込む

頭の良い奴ならここでは動かない

追い詰められたネズミの二回目のフェイントだと思う

そしてそいつは三回目を待つ

 

この時 一枚の絵のように見えているであろう僕らは

雲がゆっくり流れるように息を数え合う

相手は待っている

そして剣先が少しだけ深く交わったその時

相手のリズムに合わせて三回目をする

 

上手い奴なら沈み込むまで待たない

沈もうとするその時に来る

そして僕は相手の竹刀が綿ぼこりにさえ感じる動作をしたとき

僕の全身はエネルギーの化身となり

相手の胴を斬る

 

もっと頭の良い奴なら打ってこないよって?

ちがうよ

誘うんだよ

この瞳で嘘をついて

 

 

CHAGE&ASKA TREE」 歌詞ブックレットより引用

第1章 SAY YES (1)

愛には愛で感じ合おうよ ガラスケースに並ばないように

何度も言うよ 残さず言うよ 君が溢れてる

 

 津波と漣を隔てる差異は、岸辺に打ち寄せる海水の量の差異だけではない。言うまでもなく、それは質的な差異でもある。憎しみと愛を隔てる差異もまた、しかり。その隔たりの渚には、強度と運動という“まぐわい”の多様な、あまりに多様な表情がある。

 

  僕の、“かの女”への執着は、果たして愛だったのか。夕暮れの漣に漂う愛慕という比喩にはおさまりきらない、独特な強度の訪れを僕の心が僕の心そのものに直に感じていたことは、おそらく間違いないだろう。

  中学2年生、14歳。誰もが強度によって激しく突き動かされる人生のその季節に、僕が初めて黄昏時の小さな公園で、その強度によっていわゆる「告白」という儀式の担い手として祭り上げられたのは、金木犀がほのかに香る19919月のことだった。放課後にこの公園を訪れてから、どのくらいの時が流れただろうか。公園に佇む男女の影がすっかり伸び切って消えかかる頃に、ようやく僕の中の、その渦巻く強度は、言葉というガラスケースにおさまってくれた。「付き合って。」僕がかの女に差し出したそのガラスケースは、あまりに脆く儚い代物ではあった。しかしそれでも僕はあの凄まじい威力で心を迫る強度からほんの束の間解放され、心が幾ばくかの安らぎを甘受していた。そんな僕の長い長い強度とのあらがいとは裏腹に、かの女の応えは一瞬だった。「少し時間をください。」僕のガラスケースは、破られることも、開けられることもなく、そのままの状態で持ち帰られてしまうことになった。

  ウラジミールからの応答は、エスドラゴンのゴドーに対する期待にいつでもまっすぐに向けられているので、というよりも“ともに”ゴドーへと差し向けられた眼差しが共振し合うので、エスドラゴンは永遠の中でゴドーを待ち続けることができるのだろう。この時の僕には、ウラジミールからの応答がうまく聞き取れなかった。少なくともウラジミールと“ともに”眼差しをまみえることはできていなかった。「今度は何をするのかな?」僕のその問い掛けだけが虚しくこだまし続け、ガラスケースに収まりきれない何ものかが、僕の心の中で増殖していくのを感じた。

 

  1991916日月曜日。そのドラマの最終回を、僕は見ていた。やがて歴史がトレンディドラマの絶頂期と名付けることとなる、「101回目のプロポーズ」というそのドラマの中で、ウェディングドレスを身にまとった浅野温子演じる矢吹薫は、夜の東京の街を懸命に走っていた。土木工事を終え地べたに座り込んだ、武田鉄矢演じる星野達郎のもとへ。あのイントロが響く。強度そのものとしか表現し得ない、あの音たちの塊。申し合わせるまでもなく、運命に導かれるようにどこからともなく集い来る音たちの群れ。僕たちの心に直球でダイブしてくる、その音の群れは、強度そのものを僕たちにも感覚可能なのだと錯覚させてくれるほどのアクチュアリティをもっていた。その幻想的なダイブの余韻を追いかけるように、こちらからあちらへ、あちらからこちらへ、いくつもの音階を激しく往来するピアノの音色が続く。そして、ASKA。その人の声が穏やかにそして深く問いかける。

 

「余計なものなどないよね」

 

  ガラスケースをはみ出るもの。言葉を超えていくもの。東京の都市文明が「余計なもの」と見なしたがる、夜の下水工事現場の地面に胡坐をかいた達郎の独特の土臭さが、ウェディングドレス姿の薫が背負ったキリスト教の教会と邂逅する。達郎と薫の結ぼれが象徴するもの。それは、この「言葉を超えたもの」と、「言葉」との邂逅そのものである。あるいは、都市空間から締め出された土着的な風合いの残余と、それまでは俄か西洋的なものに過ぎなかったガラスケースや言葉の中にぽっかりと空いた欠如との本当の遭遇のはじまりと言い換えてもよい。「僕は死にません!」達郎が迫りくるトラックを前に叫ぶように、ガラスケースをはみ出してしまう「余計なもの」は決して死なない。全体性なるものを仮構するならば、ガラスケースの外に「余計」として除去されたものは、「穴」であり、「傷」である。この「穴」や「傷」の内包物は決して死なない。このことを深く眼差して、ASKAは「余計なものなどないよね」と問いかける。この問いかけに応じて、画面の中で二人の男女が再び出会い直す。この「傷」と「言葉」との邂逅。いったいこの邂逅は、ほんとうのところ僕たちに何を見せてくれていたのだろうか。

はじめに

  そのとき、僕は確かに2つに分裂した。僕の心の中の、「あのASKA」と「このASKA」とが。いや、もっと直截的に言ってしまえば、こう言ってもいい。「あの僕」と「この僕」との分裂であった、とも。

 

  そのとき、警察車両の後部座席で、幾重にも重なるガラスケースのごときものの中に、ASKAは口元を引き締めおし黙ったままの姿で陳列させられていた。僕にとって、この目撃は、父の死に匹敵するものだった。

 

  僕の父は、東北地方に悲劇が襲いかかったちょうどその年の夏、まるで生まれ故郷の魂たちの足跡を辿るように、遥か彼岸に旅立った。僕にとってもう一人の父ASKAを襲ったあの出来事がもたらした心への強度は、この父の死がもたらしたそれと、とてもよく似ていた。

 

  「強度」とは本来的に「意味」の対極にある。だからもちろん、そのときの僕が、どんなに必死に懸命に、その状況の「意味」を探ろうとしても、あるいはその状況を「意味」に押し込めようとしても、残念ながら心を繰り返し襲来する「強度」には、あらがいようがない。しかし、そんなことはわかっていても、愚かにもあらがってしまう。かりそめの「意味」にすがろうとする。むなしさと哀しみを連れながら。

 

  ASKAはたびたびこう言う。「物事には理由がある」と。確かに、そのとき僕の心を襲撃した「あのASKA」と「このASKA」の分裂という出来事にも、無論理由はある。しかし、「理由」すなわち「由縁が生じる理(ことわり)」は、蒙昧な僕たち人間にはすぐには判然としないことのほうが多い。「強度」の大きい出来事であればあるほど。なおさらに。だからこそ僕たち人間は途方もない歳月をかけて「服喪」という習俗を考案したのだ。僕は、父の死に引き続き、ASKAに訪れたあの出来事の目撃とともに、再び喪に服する時間に入った。

 

  永い永いときが過ぎた。僕にとって、かけがえのないときだった。2人の父を綯い交ぜにして、大きな心の壺の中で熟成させていくための必要十分なときだった。

 

  ようやく、喪があけそうだ。それは、あのときに分裂した「あのASKA」と「このASKA」を抱き締める時間だ。それはとりも直さず、「あの僕」と「この僕」を両手いっぱいに抱き締める時間だ。

 

  この愛のために。